haizaiの日記

滅びる過程を書いている

論理と非論理の断層による苦しみ

はじめに

ちなみに僕はどちらかというと論理的な人間であるつもりです

しかしそれ自体を語るのは論理的ではない(少なくとも私はそう思う)から

そして私が論理的かどうかなんてどうでもいいから

今は論理と非論理の間に着目します

さらに、人間に関する論理のみを対象とします

 

論理的な人

私の定義する論理的な人とは、根拠を付けて話をする人です

ただスピリチュアルな物事を否定するだけの人ではありません。

三段論法によって論理付けられる話はもちろんですが、

確実とは言えないような事柄に対しても、推論するにいたった理由があれば、それは論理的であると言えます。

 

非論理的な人

私の定義では、無意識や直感によって物事を推論する人のことです。

条件反射的に動いているとも言えると思います。

 

注意点

どちらが良い悪いというわけではありません。(この定型文のような言葉は基本的に意味が無く、うんざりなのだが、誤解を防ぐために止むをえず使用する)なぜなら、論理が正しいという論理は存在しえないから。

 

中間的な人

ほとんどの人は、さまざまな場面において自分の論理性を使い分けていると思います。つまり、ほとんどが中間的な人と言えるでしょう。

 

中間であることによる苦しみ

あちらでは論理的

こちらでは非論理的

そのようにして成り立っているこの世界で

あなたは論理と非論理の間に苦しめられます

論理的な場面から急に非論理的な場面に移り変わる時、

またはその逆のとき、

あなたはその断層をくぐり抜ける際に

幾千もの傷を蓄えることになるでしょう

その傷はついには表面を埋め尽くし

そして傷こそが本来の姿に

そして傷こそが神様になって

もはや傷のジュースが夜を埋め尽くし

大量の蜂が窓にぶつかり

正解の無い黄昏が

自転車置き場で繰り返し踏み潰される花を照らし

理解もされない線路沿いの苦しみが

一点に収束する瞬間に起きた核融合を破壊し

火星の表面の酸化鉄が木製のヘリウムに恋をする

そして忘れ去られた論理の刀が

鳥のさえずりを泣きながら聞いている

いつかは晴れる日が来るだろうと

全知全能の神は自分に祈るのだが

腐った人間界において

何が赦されるというのだろうか

病院でのアナウンスが

すべてワルツに変わったとき

精神障害を患った人々が

ついに正常な心を取り戻す

そして常識を持ち合わせた一般人は

ワルツによって気が狂い

虐げられることになるのだろう

それをどうやって観測するか

それがあなた方への課題である。